PMOとリモートワークの相性
- Akihiro Goto
- 2021年6月26日
- 読了時間: 7分

フル・リモートワークの半年間
今年1月から、私が担当する全ての案件がリモートワークとなったため、自宅で終日仕事をするというライフスタイルがもう半年間続いていることになる。
昨年までは、週1回のディスカッションを希望されるクライアントや、社員の方々が週の何日かは出社されているクライアントを担当させてもらっていたため、リモートワークが原則でありながら定期的な外出、クライアント訪問の機会があった。しかし今年に入り、担当する全てのクライアント・案件が原則リモートワークとなったため、業務都合による外出の機会がほぼ皆無となったわけである。
現在、私が(管理者として)担当する案件は10件、うち自らもコンサルタントとして現場タスクを遂行している案件が3件ある。これらの案件に関わる弊社関連メンバは全員で16名だが、その全員がフル・リモートワークを続けている。
定型タスクとしての生産性はリモートワークの方が圧倒的に高い
リモートワークは、そもそも通勤時間を含む移動時間を完全にゼロにできるため、単純に一日の労働時間においてタスク遂行に割り当てられる時間比率は高く、各タスクの作業効率が同じであるならば、一日のアウトプット成果はリモートワークの方が確実に高くなる。
私の場合、常に複数案件を担当しているため、移動に費やされる時間と労力(と交通費)が省略されたことのメリットは大きい。移動という行為のメリットもある。それによって気持ちや環境を切換えることができ、オンとオフのメリハリをつけることにより仕事とプライベートの両立にプラスに働いているという点だ。リモートワークを始めた当初はこの点を強く実感したものだ。ただ、長くリモートワークを続けていると、このオン・オフのスイッチングのために満員電車に30分、1時間と揺られることが果たして合理的なのかというと、決して頷けなくなったと言える。
リモートワークの生産性に対する敵は、おそらく自分自身であろう。他人からは業務遂行のプロセスは見えないため、自分自身に対して甘えを許容してしまうことのリスクはオフィスワークに比べると非常に高いかも知れない。しかし、自分自身をいかに律するかという仕事観、倫理観は、オフィスワークであっても本来は同じであるため、これは別問題と考えてよいかも知れない。
一般的なコミュニケーションのハンディもゼロに近い
同僚やクライアントとのコミュニケーション上の利便性はどうだろうか?私は現在、2つのTeams、5つのSlack、4つのメールアドレスによって日常的なコミュニケーションを取っている。PC及びスマホの通知機能により、同僚やクライアントからコンタクトがあった場合に、ほぼリアルタイムでそれに気づくことができる。ちょっと飽和状態だなと思うこともあるが、ワークライフバランス(=仕事とプライベートは区別しましょう!)の考え方・気遣いも浸透し、夜の就業時間後や週末に仕事の連絡が来ることはまずないため、平日の業務時間に、これらのコミュニケーションチャネルを常にオンラインにしておくことは、当然の義務だと考えているので、現在の環境はさほど気にはならない。
各プロジェクトメンバとは、適度な周期(週1回または2回)でリモート会議を持っており、各メンバの業務状況は概ね把握できているつもりである。私は、各メンバのパフォーマンスを評価する上で、一定期間内におけるアウトプットの量と質に注目するようにしており、そのプロセス・過程は敢えて細かく詮索しないようにしている。その行き過ぎた干渉がマイクロマネジメントなのだろう。勿論、あるメンバのアウトプット生産性が低いと感じたら、管理者としてここに介入する必要はあると考えている。
従って、特に比較的定型的な業務が繰り返されるプロジェクトにおいては、リモートワークによるコミュニケーションのハンディは見当たらない。
PMO業務には、定型的な要素も多い
PMOと言っても色々なタイプがあるので一概には言えないが、プロジェクト事務局のアドミニストレーション領域を担当するような支援・補佐的なPMOであれば、業務の定型性は非常に高い。プロジェクトリーダーに近い立場で、プロジェクトをドライブすることに主体的に関わるような高度なPMOの場合は状況は異なるものの、それでも一部のタスクは定型性があると考えている。なぜなら、PMOは、プロジェクトをより定型化された状態へ仕立てていくことが目的でもあり、よって、定例会議体の組織化、進捗や課題管理のメカニズムの確立がこれにあたるからだ。
PMOの業務も、その定型的要素が多いほど、リモートワークとの相性がいいと言える。私が実務を担当するプロジェクトのうち2つは、純粋にPMO業務に特化しているのだが、毎週の進捗定例のファシリテーション、進捗や課題のモニタリングなど、リモートワーク環境下での実行が当たり前となっている。
リアルなコミュニケーションの弊害
PMOに限らず、コンサルタント業は典型的な接客業であると考えている。我々に問題解決を手伝ってほしいクライアントがいて、クライアントの期待値を正しく理解し、目的達成のためにあらゆる工夫と努力によってサポートする。
一般的に対人関係において、相手の気持ちを理解するには、五感をフルに使ってコミュニケーションを取るのが望ましいとされており、よって、リモートよりもリアルで会って話ができる方が絶対に有効である、という結論に至ることが多い。
私自身も、この考え方は疑いの余地がないと信じてきたが、最近になって、少し考えが変わってきている。リアルに人と会って、あらゆるチャネルから相手の言動を受け止めることは、かえって不用意なバイアスがかかってしまうというデメリットもあるのではないかという懸念からだ。例えば、リアルの場において相手の主観への偏りや威圧的な物理的態度によって、その心理的なプレッシャーを過度に受けることで、自分の判断や認識を歪めてしまうことが起こりやすいのではないか。それならば、リアルな世界に蔓延る暗黙知的なバイアスが入りにくく、音声やテキストによる言語化されたコミュニケーションに頼らざるを得ないリモートワークの環境下の方が、かえって適切なコミュニケーションや判断を生みやすいと言えないだろうか。
PMOは接客業である。接客の基本は対人関係であり、リアルな人と人との触れ合いに勝るコミュニケーション手段はないかも知れない。信頼関係の醸成においても、語り合うとか、時には飲食を供にしてお互いの人柄を理解し合うのは効果的である。しかし一方で、PMOは仕事である。プライベートとは、目的も本質も異なる。PMOの使命はあくまでプロジェクトの目標達成であり、豊かな人間関係の形成ではない。後者が前者に対してプラスに働くことはあっても、必要十分条件にはならないし、PMOにとってのKGI(最重要な達成目標)は前者のみである。
このように少々ドライに考えると、リモートワークの環境下においても、PMOという業務は十分に成立するわけであり、また、リモートワークの環境が作りだす対人上の制約が、かえってPMO本来の目的へ原点回帰を促してくれるメリットすらあると言える。
アフターコロナへ向けて
コロナの収束に伴い、人々はこれまで我慢してきた、人間が本来必要としている他者との交流を一気に再開していくのだと思う。友人とのリモート飲み会が、楽しいけど何か物足りないように、人と人との触れ合いはリアルに勝るものはない。
注目すべきは、我々のワークスタイルだ。リモートワークがある程度定着し、それが機能することが実証されたにもかかわらず、ビフォーコロナの時代の働き方へ回帰しようという力学があちこちで生じる気がしている(既に周りには、リモートの継続に問題はないのに、出社を義務付けられる日数が増えて嘆く声をよく耳にするようになった)。
今後も、リモート vs. リアル の議論は続くであろう。どちらが正しいということではなく、コロナによって我々のワークスタイルの選択肢が広がったわけであるから、それぞれのメリットや特徴を活かして、ワークスタイルの多様化がこのまま浸透していくことが望ましいのではないか。私自身も、この両者を適切に合理的にバランスできる一人のワーカーでありたいと思う。
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