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我々は世界と自分をどう理解するのか

  • 執筆者の写真: Akihiro Goto
    Akihiro Goto
  • 2023年10月17日
  • 読了時間: 4分

更新日:2023年10月18日

映画「君たちはどう生きるか」を観てきた。噂を聞いていた通り難解な内容であったが、私なりの解釈をまとめてみた。

色即是空(しきそくぜくう):物事の本質に唯一の実体はない

これは仏教の教えであり、「色」はあらゆる物体や出来事を指し、「空」は恒常的な実体がないという曖昧な状態を指す。つまり、我々が日頃見たり体験したりしていることは、それが絶対的事実ということはなく、移ろいやすい存在であるということ。物事は、縁起によっていかようにも結果(解釈)が変化する。この映画を観た後の所感は、こんなところだろうか。目の前で起きている事実をどのように理解するのか、また、自らの将来の行動・考えによってその事実が持つ意味が変わってくる、そんなことを感じさせられる映画であった。


ちなみに、仏教では「空」と「無」は明確に概念が異なる。からっぽ、何もない、といった事象は「無」であり「空」ではない。「空」は、絶対的、普遍的なものでなく、常に流動的であるという状態を指しており、何もない、存在しないということではない。なぜ「空」という漢字が使われているのか分からないが、我々が毎日見ている天空は、毎日そこにあるにもかかわらず、季節や雲の様子によってその様相は毎日異なることから来ているのかなと自分勝手に解釈している。


過去は変えられる。時空を超えた世界とのつながり

現在は過去の結果であり、未来は現在の先にある。この3事象は一方通行だと思いがちであるが、実は未来から逆算して現在を考えるというBackcastという思考法もあるし、現在・未来の行動によって、過去の出来事の意味が変わるということも現実である。


以前記載した、これに関連したブログはこちら


過去に起きた物理的な事実は勿論変えられない。自分の失敗に対してどれだけ後悔の念を抱いても、当たり前であるが時間が戻ってやり直せることはない。しかし、過去に起きた出来事の意味(価値)を、現在または未来の行動や思考によって変えることは可能である。過去の過ちを教訓に、その後の人生をより良いものにできるのであれば、この過ちも価値があったことになる。過去に自分が下した意思決定もそうだ。その意思決定を価値あるものにするか、悔やみ続ける間違い・過ちとするかは、実はその事実そのものよりも、その後の自分自身の行動と思考次第である。


この映画では、戦争で亡くなった主人公の母親が、あるパラレルワールド(映画では「下の世界」と呼んでいる)の中では少女の姿で現れるのだが、これは普通では辻褄が合わないことなのだが、戦争で母親が亡くなった事実を変えることはできないが、それをどのように受け止めて、母親に対する気持ちだけでなく、他の周囲の人に対してもどのような感情を持ち、どのような関係を築いていくのか、それには沢山の選択肢が存在する。それを決めるのは自分であり、周囲の世界をどう理解するのか、または自分自身をどう理解するのか、それがこの映画のテーマなのかなと考えている。


先日の父親の三回忌で、お坊さんが「別れは、新しい出会いの始まり」という言葉を教えてくれた。父親が亡くなって別れが到来したのだが、その後も父親との新しい出会いが始まっている、という意味だそうだ。過去の父親との関係を思い起こしたり、自分が知らなかった父親の生前のことを周りの人から聞いて新しい感情が芽生えたり、そうやって父親との新しい関係が始まるということなのだろう。

自分が見ている世界に、自分が写り込む

自分たちが見ている世界は、自分自身の思考、感情、知性、知識、記憶、偏見といった内在されている意識の眼鏡を通して認知されており、つまり、外の世界に自分が写り込んでいるようなものだ。自分を取り巻くモノやヒトや出来事は、味方にもなるし敵にもなる。支えにもなるし負担にもなる。好きにもなるし嫌いにもなる。楽しくもなるし苦しくもなる。嬉しくもなるし悲しくもなる。外から与えられた不変的なものなどなく、全ては自分が決めていることなのかも知れない。自分が変われば、世界も変わるのだ。


さあ、では君たちはどう生きるのか、そんな問いを投げかけられたのかも知れない。















 
 
 

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