リカバリーモードへの方向転換
- Akihiro Goto
- 2020年7月25日
- 読了時間: 7分
コロナとの闘いは、これからが正念場。プロジェクト管理で言えばリカバリーモード。

コロナとの闘いは、中国や韓国など、出口が見え始めている隣国がある一方で、世界的にはいまだに収束を見通せない国が多い。ここ日本では、この闘いが始まって約半年が経過し、皮肉にもオリンピックの開催を迎えていたはずの今日、一時は収束に向かいかけたコロナ禍が再び再燃し、緊張が走っている。
今が転換期であるという認知が必要
「プロジェクトを開始したものの進捗が芳しくなく、改善を試みるも状況は日に日に悪化を辿り、プロジェクトリーダーが根本的に仕切り直す必要があるという結論に達し、本格的なリカバリーに乗り出す。」これは、誰もが避けたいことであるが、残念ながら世の中のプロジェクトでは珍しいことではない。外部のPMOコンサルタントという商売は皮肉なもので、こういう局面で声をかけて頂くことも少なくなく、逆にプロジェクトが終始順調であれば出番がないこともある(終始順調であるために最初から招聘されるのが理想であるが)。
プロジェクトの軌道を変えるために、まずは、現状を客観的に把握・分析するための「第三者評価(アセスメント)」を実施し、その診断結果に基づいてプロジェクトの仕切り直しを行う、というステップを取ることがある。第三者評価は通常、数週間から1ヶ月程度の短期間にクイックで行うことが望ましい。なぜなら、進行中のプロジェクトがうまく行っていないという事実がある以上、素早くリカバリーに着手することが求められること、そして、プロジェクトがうまく行かない理由というのは、比較的共通点が多く、ある程度の仮説を立て、短期間での検証によって改善策を導くことが求められるからである。アセスメントに数カ月も要していては、問題はどんどん深刻化する一方である。
第三者評価の最も重要なことは、関与するコンサルタントの力量も勿論であるが、それ以上に、文字通り「第三者」が評価を行うことにある。誰でも、それまで自分自身が判断したこと、実行したことに対して主観を拭うことは難しい。また、現状を知り過ぎているが故に、物事をフィルターをかけて見てしまっている。これは、リカバリーのための新しい対策をゼロベースで検討するにあたり、知らず知らずのうちに妨げになることがある。
日本のコロナ対策も、今、このタイミングにあると思う。今後の対策を検討するにあたり、これまで最前線でご尽力を頂いている政府の方々、専門家の方々、経済界の方々、いずれの方々の深い知見は引き続き大変重要であるが、このタイミングで、これまで陣頭指揮に関わって来なかった有識者やリーダーにも加わってもらい、一度立ち止まって過去の対策と現状課題をアセスメントした上で、これからの対策を練り直すべきではないだろうか。
プロジェクトでは「第三者評価」が行われると「リーダーは、プロジェクトがうまく行っていないと思っているのだ」ということが誰にとっても明らかとなり、プロジェクトの軌道修正に身構える、いわば、モードの転換が起こる。コロナ対応でも、これと同じようなシフトを今、行う必要があると考える。
過去の否定(犯人捜し)ではなく、過去から学び、現状と未来を直視
過去をやり直すことはできない。しかし過去から学ぶことはできる。半年前に比べ、我々はコロナに対して圧倒的に豊富な知識と経験を有している。過去のあらゆる施策や行動が現在の結果を生んでおり、その因果関係を客観的に把握することが必要だ。そして、その延長線上にある未来のシナリオを冷静に予測する。もし未来が望ましい姿でない可能性が高いのであれば、望ましい姿に変えるための「変化」を起こす必要がある。
人の感情バイアスが、全体最適より個別最適へ向かわせる
プロジェクトには色々な立場の人が参画しており、それぞれ、自分が所属する組織・会社の利害を背負っている。もしも過去の判断・行動が最善ではなかったと個人として振り返っても、それを認めるのは自分の組織・会社の責任を認めることにもなり、また、上司から受ける自分の評価にも影響するため、容易なことではない。実際、ステークホルダーが多い大規模なプロジェクトでは、ある問題がたった一つの理由に起因するということはなく、色々なことが複合的に重なり合って問題が生じていることが多いため、それを敢えて自分自身のみに原因を帰結する必要もないと言える。
プロジェクトは最終目標を達成するために、目的が構造的に因数分解され、各組織・各チーム・個人が達成すべき目標・役割にまで落とし込まれている。よって、各チームは自らの目標を達成することを第一に考えた行動を取る。各チームは歯車となり、全体として大きな装置を形成している。全ての歯車が噛み合い、装置全体として正常に動作している時は最高の分業体制が取れているが、もしどこかの歯車が異常を起こしたとき、その異常は装置全体に波及する。
社会も、色々な組織、色々な産業から構成されている巨大な装置である。コロナは、この社会を構成しているあらゆる歯車を同時一斉的に狂わせた。そのため、我々社会全体が途端に動かなくなってしまった。さらにコロナ問題は、非常に巧妙であり、社会のある一部分に照準を合わせた対策を行うと、他の部分にとって逆効果となる。
これほどまでに、全体最適が試される困難があっただろうか。コロナ問題における全体最適は、社会全体のバランスの取れた回復であり、感染者の減少と経済活動・社会活動の再開の両立である。どこか一つの歯車が自らの利害のためにアクセルを踏み過ぎると、他の歯車との噛み合わせがすぐに悪くなり、途端に全体は動かなくなる。
しかし、各々の歯車を操っている人間は、無意識にも自らの立場・利害を優先した判断・行動を取ってしまう。他の歯車への影響を懸念しつつ、「背に腹は代えられない」と正当化してしまう。「この程度であれば、何とかなるはずだ」という期待、ここに感情のバイアスが作用している。これは、人の性である。
これほどまでに、全体最適が試されている時はない。
極端な行動規制、ロックダウンを国民に強いる他国とは異なり、日本は、コロナとの闘いの第1ステージ(緊急事態宣言解除まで)では、全体最適志向の対応を試みていたと思う。これが功を奏したかに見えたが、第2ステージ(緊急事態宣言解除後)では、スタート直後から全体最適のバランスを崩してしまったと言わざるを得ない。
全体プログラムマネジメント(全体PMO)が必要
PMOは、Project Management Office の略であるが、Program Management Office の略で使われることがある。プログラムとは、プロジェクトの集合体を指しており、各プロジェクトの目的・活動の調和・整合性を確保することで、より高次元の目標を達成するためのマネジメントである。私は、PMOと区別するために「全体PMO」と呼んでいる。
日本のコロナ対策にも、まさに全体PMOが必要ではないか。国、都道府県、医療機関、経済産業界、文化、スポーツ、教育、、、各組織・機関が必至になって対策を講じているが、これは各プロジェクトの単位であり、日本の社会全体を進むべき目標へ導いていくことを目的とした「全体PMO」が不在な状態である(その機能が脆弱である)。全体PMOが不在だと、各プロジェクトが独自の判断で活動することになり、全体から見たときに整合性が取れない。個別で見れば各対策の実施根拠は成り立つものの、相互の矛盾によって効果を打消し合い、全体として状況は悪化していく。
全体プログラムマネジメントには、強いリーダーシップが必要であり、その実効性を担保するための権限も与えられる必要がある。全体PMOは、各プロジェクトの状況・課題を正確に把握した上で、全体バランスの観点から優先順位や対策を検討し、場合によっては一時的に特定プロジェクトでの損害が発生することも受入れ、全体として最も効率的に目標を達成するシナリオを組み立てて、速やかに実行する。その全体シナリオを関係者全員と共有し、同じ目標へ向かって努力していくための共感を生まなければならない。
コロナに立ち向かう日本の体制は、この全体PMOが不在という点で構造的に大きな問題を抱えている。いち早く体制を刷新し、リカバリーモードへ突入すべきである。
コロナ禍において、何かを改善しようとすると別の何かが崩れてしまい、なかなか社会全体の立て直しがうまくいっていません。感染者の減少や経済再開などの別々の目的がうまく噛み合いながら改善に向かっていくことの難しさを感じました。