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コロナ禍とプロジェクト管理の共通点

  • 執筆者の写真: Akihiro Goto
    Akihiro Goto
  • 2020年7月12日
  • 読了時間: 8分

今日まで4日間連続で、東京都の新規感染者数が200人を超え、待ち望んだ経済や社会活動の再開の出鼻を挫く事態となっています。日本は、台湾や韓国のようなコロナ感染阻止に成功した近隣国に囲まれているせいか、日本の対策は正しくなかったのではないかとの批判的な見方もありますが、全世界的にみると、日本のように、ロックダウン解除後に再び感染者が増加に転じている国は多く、若者を中心に広がっているなど傾向はとても似ています。とは言え、日本がこれまで行ってきた対策には反省点も多く、せっかく学んだのですから、これからの対策に活かしていくことが重要だと考えています。


コロナ対策の難しいところは、プロジェクト管理で直面する難しさにも共通する点が多くあります。いくつか、気付いた点を挙げてみます。

今見ている数字(事実)は、過去のこと

皆さんご存知の通り、コロナの新規感染者数は、2週間前の感染状況を反映した結果です。プロジェクトでも、週次や月次の進捗報告にて各種数値情報が報告されますが、これは一定時間を経過した過去の数値情報であることが多く、少なからずタイムラグが生じています。また、状況を改善するための対策を講じても、それが現場へ伝達され、かつ日常タスクへ反映されて実際の改善に結びつくまでには時間がかかる、という点もコロナ対策と同じです。

数字(事実)を、主観的に解釈しようとしてしまう。

我々は、報告された数字(事実)に対し、自らの希望や懸念などの主観的判断を加えて解釈しようとしてしまいがちです。一刻も早いコロナ禍の収束を強く願っている人は、明日には結果が劇的に改善へ向かうことを期待するあまり、現状の事実が何らか一時的で異常値であると思いたくなります(私も他人事ではありません)。また、都合の良い仮説を持ち出して、それにしがみつく人もいます。数字(現実)を解釈するには、色々な角度からの仮説により分析し、主観は排除し、最も客観的な解釈に努める必要があります。

事象を分析するには、十分な因数分解が必要

我々は新規感染者数の増加・減少だけを見て一喜一憂する毎日を過ごしていますが、この数字は様々な事実の総体であり、ただ「感染者が増えている」という結果しか分かりません。感染の地域・場所・ルートなどの原因を徹底的に分解して、ようやく分析ができるようになります。


因数分解は、ただ細かく分類していけばよいという訳ではなく、その分類が分析する上で意味を持つような切り口で捉えることが重要です。


悪い事実の責任追及をし過ぎない。悪い事実が報告されているのは、むしろ健全なこと

プロジェクトで最も良い状態は、問題が発生せず順調である状態ですが、次に良いのは、発生した問題がタイムリーにオープンになっている状態で、最悪なのは、発生した問題が報告されない状態です。問題の発生自体は悪いことではありません。それが深刻化する前にタイムリーに報告されれば、解決できる確率は十分に高いのですが、もし報告されなければ、そもそも手を打つことができず、往々にして深刻化が進み手遅れとなったときに表面化するものです。


従って、報告されたトラブル事実に対する過度な責任追及は、報告することに対するモチベーションを後退させ、不健全な状態を誘導するリスクがあります。コロナでは感染の事実から多くの学びがあるように、プロジェクトでも発生した問題から将来へ向けた多くの改善ヒントが生まれるものです。トラブルに対する厳格な態度・姿勢が緊張感を生み、プロジェクト管理にプラスに働くこともありますが、その逆も然りであることを認識しておく必要があります。

最悪のシナリオへの想定は絶対必要

あるコメンテーターが「コロナに対しネガティブになり過ぎるのはよくない。最悪なことばかり考えていると経済も行動も委縮してしまうので、もっと前向きな発想で日常生活に向き合うべきだ」と発言していたのを聞き、違和感を感じました。この「前向きな発想」というのが、十分に分析された考察に基づき、許容できるリスクの範囲を理解した上であるならば賛成ですが、論理的根拠がない精神論や、主観的な期待を指しているのであれば、おかしいと思います。


プロジェクト管理の重要な目的に「最悪の事態に備える」ということがあります。最悪の事態を想定したシナリオを、コンティンジェンシープラン(プランB)といいます。もし最悪の事態が生じた場合に、どのように対処するのかを予め決めておくのです。「コンティンジェンシープランを検討するということは、失敗の可能性があると思っているのか?」と誤解する人がいますが、そうではありません。災害は、起きてから対処していては手遅れであるように、プロジェクトの有事も、発生してから対処していては後手後手になってしまいます。どんなプロジェクトでも、災害と同じように、不可抗力によって問題が発生する可能性はゼロではありません。「準備をしておいたことが無駄になった」というのは良いことであり、それは必要コストであるとみなすべきです。

判断基準(KPI)は予め決めておく

コロナ対策でも、これまで色々な数値基準が設定されました。数値基準は、状態を客観的に迅速に判断するための物差しですが、既に述べたように、我々は自身の期待値などに左右されて主観的に物事を判断する傾向があるため、それを回避するためにも、数値基準は重要です。そして、これを事前に決めておくことが重要です。問題が生じたとき、その対処の決断を迷うものですが、予め「こうなったら、こうする」と決めておくことで、我々の考えの歪みや躊躇を排除してくれるのです。


第三者の存在は重要

コロナ対策でも、政治家、感染病専門家、経済専門家などの色々な立場の方々が集まって状況分析し意思決定していますが、プロジェクトも同じです。大規模なシステム開発のプロジェクトでは、システム品質を検証するチームを招集し、第三者の立場で客観的な評価を実施することがあります。これは、プロジェクトの日常に関わっているステークホルダー(ユーザー業務部門、ユーザーIT部門、ベンダ、など)は、各々の立場から物事を見ることが避けられず、評価の偏りが生じるリスクがあるので、独立した立場からの品質検証を行うことが有効になるからです。通常、この品質評価チームは、対象システムの業務や機能の設計に関わっていないメンバなのですが、関わっていないからこそ、対象システムをブラックボックス化させて客観的な分析ができるわけです。PMOも、これに近い役割を担うことがあります。

初志貫徹よりも、トライ&エラーの柔軟さと勇気

プロジェクトにおいて、当初の目標を必ず達成するという強いこだわりを持ち、そのために全力を尽くすというのは理想的な姿です。しかしながら、特に昨今、プロジェクトの開始時点で、あらゆる不確定要素を排除し、不測事態発生を完全に防ぐというのは困難になっています。技術進歩が加速し、様々な要素が相互に関連し合い、プロジェクトを取り巻く環境の変化が激しくなっているからです。「ノーミス」にこだわり、完璧な計画作りに固執してしまうと、準備に膨大な時間とコストがかかってしまい、そして残念ながら「失敗しない確率の増加」というリターンに対してのROIは、見合わないものになってしまいます。


企業のDX(Digital Transformation)において「トライ&エラーの企業文化が醸成されているか」という評価指標が成功条件の1つに挙げられているように、現代は、まずトライするために行動を起こし、それから学んだエラーを教訓に、軌道修正を繰り返しながら前進していく方が望ましいのです。途中で方針を変更するのは勇気のいることですが、間違いに気付くことは、それ自体が大きな発見であるというプラスの発想をもつべきなのです。


コロナの第2波を迎えるにあたり、第1波で経験したこと、また、他国が経験していることは、大いに参考になるはずです。

情報は、現場からトップへ伝達される過程で脚色されがち

情報は現場にあり、意思決定はトップがいる会議室で行われますが、情報が会議室へ届けられる過程において、様々な人によるバケツリレーが行われます。「伝言ゲーム」がそうであるように、情報は、伝達される過程においてロスしたり、脚色されがちです。単なる聞き間違い、理解不足、さらには恣意的な歪曲など、媒介する人の数に比例して情報が正しく伝わらないリスクが増えていきます。


コロナ禍でも、政治家が発信した情報が国民の「誤解」を生んだりなど、コミュニケーション・ロスの問題が起きていますが、メディアも情報伝達における媒介者として大きな存在であり、彼らもまた、無意識のうちに多くの脚色を手掛けていることは否定できないと思っています。風評被害と言われることは、メディアの報道のあり方に大きく関係があるのではないでしょうか。

重要な意思決定は、少数の方が良い

重要な意思決定を、特定個人に依存するのは必ずしも合理的であるとは言えないものの、逆に意思決定に多くの人が関わってしまうと、意思決定自体のスピードも遅くなるどころか、出てきた結論も「帯に短し襷に長し」的な中途半端な妥協の産物になりかねません。大きな決断は、各領域を代表する限られた賢者・リーダーのみで行うべきです。そして、誰がどういう理由で意思決定したのか、アカウンタビリティ(説明責任)としてきちんと可視化されるべきです。その意思決定の根拠を、みんなが共有し、個人的な意見の相違はあっても、いったん目標が示されたのであれば、その達成へ向かって行動する義務を自覚するためにも必要なことです。


日本は、世界の中でも最も進んだ(?)集団民主主義の利点と欠点を備えた国だと言われていましたが、コロナ禍でも、それは顕著に現れていると思います。非常事態においては、強いリーダーによる統治主義の方が有利であると言われていますが、コロナ禍の各国状況を見ると、決して否定できない見解だと思っています。


最後に

コロナは、我々の生活価値観や行動様式に対する多くの示唆を与えてくれています。一人ひとりの人生も、いわばプロジェクトのような存在ですから、ここに挙げたことは、自分がこれからどうやってサバイバルしていくのかを考える上でも関わってくるのではないでしょうか。


 
 
 

1 comentário


houtengzhanghong
houtengzhanghong
26 de fev. de 2022

私も、コロナ禍において最悪の事態を想定することの必要性を感じました。何かあってからでは遅いため、先のことを予測し、早めに行動することが大切だと思います。

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